見えない部分にこそ。。( ´∀`) 光を!

 

前回の・・更新から、だいぶ間が開いてしまった。。

その間に、人並みに、いろいろあった、とは、自分なりに感じてわいるが、取り立てて文にして残す、という手間をかけるほどの事は、自身のささやかな人生において起きえなかった、との漠然とした自負、のようなものわ、はある。。

というか、「人」という存在についてありきたりでわあるが「考察」を行い、それを自分なりに深められた時間が、少しは過ごせたとわ思う。。


人は、得てして、目に見える部分にのみ、気持ちをやり、目に見えない部分はけっこう、おざなりにして平気なのものである、という、ありがちではあるが、一般的に共感を得やすい、いわゆる人間存在のマイナス面が、まさに、まごうことなき、まぎれもない事実であった、という。。微かな幻滅と、僅かに戦慄を伴ういくつかの出来事に遭遇した。。

詳しくわ、、省くがw 主に「床下」である。。(・∀・)

みなさん(誰?藁)は、床下・・居住空間の最も基礎的な空間である「床下」に想いを馳せたことがあるだろうか?

・・私は、ある(・∀・)w

私は、過去に引越しを幾たびが繰り返した者の一人である。。その度に、不可抗力とも思える居住空間に対しての、不都合な事実と、幾たびも闘ってきた。。

簡単に言うと、家の劣化などであるが、築年数がそこではひとつの目安となる。。

しかし、既に過ぎ去った苦しい過去に思いを致すのわ、本意でわないので、ほんとに思い出したくも無いが、今回の住居においても、そのような出来事に遭遇した。。

具体的に言いたくも無いのであれだが、世の中における人間存在わ、立派な人間と、そうでない者の2つに、分類されるのは、たぶん事実だ。。

前者とわ、まさに、「人が見ていなくても、やるべきことわきちんとやる」という、人間であって、後者とわ、その正反対である。。

ここで、にんげんの価値観は、多様性に富むものであり、けっして、どれかひとつの価値観に拘束されるべきでない、という真理も、また尊重すべきものである、との認識は絶えず失いたくわない。。

しかし、ここで、基準としたいのわ、まさにお茶の間で、茶飲み話しにおいて話す程度の、ありふれた一般的な価値観であることをお許しいただきたい。。(誰にw)

であってみれば、人がみていないからといって、適当な仕事をして、その対価として報酬を持っていく人間は、やはり、碌な人間でわない、といってもけっして過言でない、ように感じている昨今である。。

ひとの居住空間というものを、「ハレ」と「ヶ」の分類にかなり強引にあてはめた場合、いわば人目につきやすい部分が「ハレ」であって、問題わ、「ヶ」の部分に集中しやすい。。

もちろん、床下は、「ヶ」の世界に属する。。

床下は、光溢れる床上の居住部分に比べ、欲望と怠惰、背徳と、混沌の潜む、陰の空間である。。

私わ過去、幾度か、恐るべき、この空間の真実にぶち当たり、人間存在を疑うこともしばしばであった。。

人々が湘南とうらやむw地域においてわ、浴室の床下の配管付近から尋常でわない、多量の毛髪&避妊具その他、またあるときわ居間として使用していた部屋の床下が、隣の社員寮の、水漏れで、広大な沼地と化していたこと、その他もろもろである。。

中央線沿いの古い街でわ、床下、および天井に潜む、鼠、ゴキブリ、そのほかのおぞましい小動物群との陰惨極まる長い長い闘いに、心が折れそうになったこともあった。。

で、今回であるが、まだ、現在進行中であるのと、気持ちの整理wwがつかないなどの、幾多の要因から多くを語るのを、やはり差し控えたいww

しかし、キーワードは、造花(チューリップ) 腐ったカーペット、おやつの食べ残し、(工務店の人間のw) 廃棄物の違法な埋め立て、地盤沈下、など、多岐に渉っており、私は、この事実をもって、人間のこころの闇を垣間見た気がしている。。

一生が、もし、何かの学びの機会として、あらゆる人々に与えられた賜物であるならば、私は何故、このような風景を見ねばならないのか?

突き抜けるような青空に、或いは夜空に満天に輝く星空に、自分の身を置き続けていられたら、それわそれで、退屈かも知れないが、何が言いたいかといえば、世界は醜さに彩られてもいた、という諦観にも似た感情が、床下における身動きもままらない自分の胸中に去来していた、その虚しさは、いったいいつまで続くのか・・・

それわ、誰も知らないし、風さえも知らない。。



それで、良いのだ。。。それで。。

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